調和の音色[2010-06-07 15:13:42 | myunx2]
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└記事:2010-06-04 [書]
BARTHさん、いつも刺激となるコメントをありがとうございます。貴方様のコメントからは、いつも深く考える機会をいただき感謝しています。
遅れ馳せながら、「エゴを受け入れるか・闘争するか」については、私にとっても重要な課題なので、コメントさせていただきたいと思います。
つい最近まで私は、自分でコントロール出来ない自分自身(己のエゴ?)が苦手でした。「どうして、~~してしまったんだろう」「どうして、~~出来ないんだろう」と自分で自分を非難して苦しむことが多かったです。
しかし最近リーマンさんが自分供養の記事を書いて下さり、『今の自分に統合する』というヒントを下さった事で、一歩だけ前進したような気がしているところです。
人は独りきりでは成長が起こりませんが、これはある意味一元的な心の状態といえると思います。他者に気を回さず自分の事だけ考えている、本当に自我だけの一元性です。
しかしそこに誰かがやって来ると、他の存在への意識から心の中に二元的な分離が起こり、他者を気遣う自分と自我を優先したい自分の二極に別れます。つまり「他の為」が『良心』であり「我の為」が『エゴ(我)』であり、この二極の摩擦と葛藤により心は成長していくのではないかと考えています。
そして一歩前進した気がするのは、この二極が、一方を排除しようとすると心が均衡を失い、苦しむのかもしれないと判ったことです。
例えば『良心』が『我』を非難し排除しようとすると心は苦しく、私が陥っていた自分で自分を非難する苦しみはこれだと思い当たりました。
要するに『良心』が『我』を排除したいと思ったら、その『良心』には『排除したい我』が芽生えた事になり、結局純粋な『良心』ではなくなってしまうのだと思います。
今まで私が『良心』と『我』の争いと思っていた正体は、『錦の御旗を持った我』と『ただの我』という、結局エゴ同士の争いに過ぎなかったのだ、と。だからあんなに苦しかったのだと・・・
ではエゴ同士の争いで苦しまないためにはどうしたらよいか考えた時、
>私自身は、このエゴをも神の恩寵と思い、自身の現状だと受け入れる方向で感謝を継続しています。
というBARTHさんの考えは、正しいのではないかと私も思っています。
【この『我』の一極一点から派生し、『我』と『良心』の二元に分離する事で摩擦し成長した二極を統合し、『全』の一極に合一し全体で成長し続けて行くこと・・・】
これこそが人類も宇宙も神様さえもが目指す、いのち全ての究極の姿なのではないかと、最近しみじみ感じている所です。
いのちの全ては振動し、振れ合って摩擦を起こしても、その摩擦は新しいいのちのエナジーとして循環し、和音も不協和音も全ての振動が調和した、美しい旋律が鳴り響く世界を想像します。
まるでヴァイオリンが摩擦により美しい音色を奏でるように・・・人類もそうありたいと願います。
神代より『我』と『良心』の二元化は、「陰」と「陽」の象徴、「イザナミ」と「イザナギ」の神話として伝えられてきたと感じます。
先日のBARTHさんの「Still love her」と題されたコメントは、人類ひとりひとりに宿るイザナミに対して捧げて下さった・・・私にはそんな風に感じ、とても心に響きました。
勿論イザナミも「Still love him」だと思います。素直になれず払った代償はあまりにも大き過ぎましたが、まだ遅くはないはずです。
『良心』は『我』に感謝する=『我』は『良心』に素直になる・・・このシンプルな事さえ出来れば、神々の愛はハッピーエンド♪終わりよければ全て良し♪の大団円を迎えられるのではないかと夢想します。
人類ひとりひとりが、心の合一による陰と陽の調和を果たしたなら。その人口が人類の5%を越えたなら。愛と幸せの大いなる神々が復活されそうですね^^
私も、エゴも神の恩寵と思い受け入れ、素直に感謝を捧げて生きたいと思います。
リーマンさん、BARTHさん、読者の皆さんを 生かしていただいて ありがとう御座位ます
宇宙の森羅万象を 生かしていただいて ありがとう御座位ます アマテラスオホミカミ アマテラスオホミカミ